佃煮といえば、醤油と砂糖で甘辛く煮付けた日本の伝統食。
様々な食材が、甘辛くにつけられて、その種類は正確には把握できないほど多数だと思われます。
アサリなどの貝類や、昆布や海苔などの海藻類、ワカサギやイカナゴ、イワシなどの小魚や小エビといった海産物系の佃煮、ふき、豆、椎茸などの野菜、農産物系の佃煮、またそれらを組み合わせたもの、牛肉や、イナゴなど昆虫を用いたものまで挙げればきりがありません。
佃煮の起源に迫る!佃煮の由来
東京都の郷土料理として農林水産省のウエブサイトにも紹介されています。
歴史・由来・関連行事
江戸時代から保存食として食されてきた「佃煮」は、佃島(現中央区佃周辺)にちなんで生まれた東京の名産品。江戸幕府開府時に徳川家康が、墨田川河口にある佃島に、摂津国の佃村から漁師たちを移住させたことで、この地は漁業の中心的な場所となる。
当時、魚の保存法として,塩ゆでや塩漬けなどが一般的であったが,紀州から伝えられたたまり醤油などを使い、濃厚な調味料を用いて煮付けたことで貯蔵性の高いものとなった。
お茶漬けやおにぎりなどの具材としても定番の佃煮。白魚のほか、のりや昆布、エビ、あさりなどの水産佃煮のほか、農産物を具材に用いたものもある。また、地方ではいなごや蜂の子など現在では数えきれないほどの食材を用いた種類が存在する。
醤油、みりん、砂糖、水飴などを甘辛く煮つめた味わいは、白飯との相性が抜群で全国的にも親しまれている。
うちの郷土料理-農林水産省
より詳しいところでいうと
1582年、本能寺の変のおり、大阪、堺にいた徳川家康は、岡崎城へ決死の覚悟で脱出することになります。現在の大阪市住吉区のあたり神崎川で、川を渡る船がなく足止めを食らってしまいます。
そこに近くの「佃村」の庄屋・森孫右衛門など漁民たちが手持ちの漁船で現れ、脱出を手助けします。その時。備蓄していた小魚煮を道中の食事として提供してくれたおかげで、その後の道中を命からがら逃げ延びたという話があります。
そのことで後に家康は、その佃村の漁民らを、後の大阪の陣でも重用したそうです。
その後も、佃村の漁民等を江戸へ呼び寄せ、隅田川河口の干潟を埋め立てて住まわせたことから、そこが現在の東京都中央区佃島となったそう。
佃島の漁師たちは、保存食・常備食として小魚や貝類を醤油で煮詰めて佃煮を大量に作って、売り出すようになったことが佃煮の由来とされています。
保存性の高さ、価格の安さから江戸庶民にも浸透し、参勤交代の武士が各地に持ち帰ったため全国にも広がったとされています。
佃煮の由来・発祥についてはその他、諸説あるようですが、現在へと続く佃煮文化は、西南戦争時に政府軍が運用職として製造が命じられ、1894年の日清戦争でも佃煮が軍用職として大量に生産されるようになったことから、一般家庭の服飾として日常食へなっていったとされています。
参考:佃煮-Wikipedia
6月29日は佃煮の日
佃煮発祥とされる佃島の守り神「住吉神社」が建立されたのが1646年(正保2年)6月29日。
この日の「二九」を「ツク」と語呂あわせをして、2003年(平成15年)に「佃煮の日」と制定したそうです。
しぐれ煮と佃煮の違いは?
本能寺の変のころを起源とし、江戸発祥とされる佃煮が、関東を中心に広まったのに対し、佃煮とよく似た調理法で、生姜を加えた「しぐれ煮」は三重県桑名市が発祥とされています。桑名で穫れる肉厚なハマグリは濃厚で、それを生姜を加え醤油、砂糖で煮たものを「しぐれハマグリ」として、江戸時代には徳川家に献上されていたそうです。
東の佃煮、西のしぐれ煮。
牛肉のしぐれ煮なども、現在では一般的ですね。
現在では、佃煮にも新しい波が来ているようで、伝統的な各種佃煮に加えて、魚を美味しく調理することが得意な和食、その甘辛い和食の味付け、甘露煮、佃煮製法を用いて、そこにスパイスを加えた「TERIYAKI FISH Jercky」として、新しい佃煮をご紹介します。
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