2022年、今年の「恵方」は「北北西」、だそうです。
恵方といえば、恵方巻きですが、その前に「恵方」とは?
恵方(えほう)
陰陽道(おんみょうどう)に基づく方角の吉凶をいう俗信。吉方とも書き、明方(あきのかた、あきほう)ともいう。十干(じっかん)十二支の組合せによってその年の恵方を決める。陰陽道で歳徳神(としとくじん)のつかさどる方角をいったものであるが、日本では正月に歳神(としがみ)が訪れてくる方角と理解し、門松迎えには自分の山でなくとも、恵方の山から自由に切ってきてよいといったり、鍬(くわ)初めなどの仕事始めに際しても、恵方の田畑で儀式を行う。元日の朝早く牛小屋を見回り、そのとき牛の向いていた方角を恵方とする例もある。年の初めにあたって、その方角にある神社や寺に参拝するのを恵方参(えほうまい)りという。朝暗いうちから出かけ、人より先に行ってお札(ふだ)を頂いて帰ってくる。現在は、村氏神に参る初詣(はつもう)でと混同し、恵方の社寺に初詣でをしたり、また、社寺や交通業者の宣伝もあって、方角などには関係なく、有名な社寺に参ることが多い。
[井之口章次]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について
恵方(エホウ)とは? 意味や使い方 - コトバンクデジタル大辞泉 - 恵方の用語解説 - その年の十干じっかんによって定められる、最もよいとされる方角。その方向に歳徳神としとくじんがいるとされる。吉方きっぽう。明あきの方かた。《季 新年》「ひとすぢの道をあゆめる―かな/青畝」恵方一覧年恵方方角西暦換算甲きのえ...
以前は、「年の初めにあたって、その方角にある神社や寺に参拝するのを恵方参(えほうまい)りという。朝暗いうちから出かけ、人より先に行ってお札(ふだ)を頂いて帰ってくる。」とあるように、年のはじめの初詣=恵方参りとして、その年の「恵方」にある神社にお参りをする習慣があったということです。
そんな中、関西で行う「恵方参り」は、正月元旦に行うよりも節分に行われていたそうです。関西で節分の恵方参りでは、その年の恵方の方角にある神社にお参りすることと、恵方に向かって太巻きを食べる2つの慣習があったそうです。
恵方巻きとは、節分における、いわゆる「行事食」の一つであったということになる。
節分の行事食にはいろいろあるよ
正月にお節料理をいただくように、節分にもいろいろな行事食をいただく習慣が残っています。
行事食とは、季節折々の行事(年中行事)やお祝いの日に食べる特別な料理のこと。
ひな祭りでは、桜餅や、はまぐりの吸い物などを食べること、冬至にカボチャを食べ、大晦日に蕎麦などなど、季節の行事にたべる、そのものを、その時に食べる風習、また、その食べ物を行事食と言います。
恵方巻きも、関西における節分の行事食のひとつで、ほかの行事食は以下のようなもの。
一月 | 正月 / 初荷 / うそかえ / 恵方参り / 年占い / 出初式 / 七草 / 七日正月 / 十日戎 / 鏡開き / 小正月 / 藪入り / 粟穂稗穂 / 祝い棒 / かまくら / 削り掛け / 左義長 / 鳥追い / なまはげ / 繭玉 / 小豆粥 / 蘇民将来 / 仏の正月 / 年賀 |
二月 | 事八日 / 節分 / 初午 / 建国記念の日(紀元節)/ 針供養 / 涅槃会 / 雪まつり / 旧正月(日本の旧正月) |
三月 | 春休み / 上巳 / 雛祭り / 卒業式 / 春分 / 御水取り / 彼岸 |
四月 | 稲荷祭 / 灌仏会 / 十三詣り / 入学式 / 花見 |
五月 | 葵祭 / 白馬節会 / 神田祭 / こいのぼり / 三社祭 / 端午 / 運動会 |
六月 | 厳島神社例祭 / 山王祭 / 虫送り / 大祓 |
七月 | 夏休み / 川開き / 山開き / 海開き / 祇園祭 / 七夕 / 那智火祭り / 天神祭 / 侫武多 / お盆 / 御中元(新盆) |
八月 | 北野神社例祭 / 十五夜 / 月見 / 八朔 / 放生会 / 御中元(旧盆) |
九月 | 石清水八幡宮例祭 / 十三夜 / 重陽 / 鶴岡八幡宮例祭 / 岸和田だんじり祭 / 秋分 / 敬老の日 |
十月 | 亥子 / 会式 / 夷講 / くんち / 鞍馬火祭 / 金刀比羅宮例祭 / 誓文払 / 十日夜 / ハロウィン |
十一月 | 顔見世 / 七五三 / 酉の市 / 鞴祭 |
十二月 | 冬休み / 成道会 / 正月事始め / 春日若宮神社例祭 / 大根焚き / 煤払い / 歳暮 / 追儺 / 冬至 / クリスマス / 歳の市 / 大掃除 / 除夜の鐘 / 年越しそば / 大晦日 |
このごろでは、2月のバレンタインデーや12月にクリスマスを年中行事として追加して考えたりもしますね。
2月の年中行事である「節分」、その行事食
福豆(豆)
鬼わ外、福は内といって炒り豆を撒くのが、節分の恒例行事ですが、撒く豆は厄払いの意がありますから、その豆から目が出ないように、しっかりと炒って、豆まきを終えてから年の数に一つ足した数の炒り豆を食べます。
豆まきに落花生を用いる地域や、砂糖で来るんだ紅白の豆「蓬莱豆」を食べる地域もあります。
節分鰯
西日本を中心に、鰯を焼いたものを「節分いわし」として食べる風習があります。
その他の節分の行事食も多数あります。
行事食
福茶 – 福豆(大豆)と昆布、梅干しなどの具に煎茶や湯を注いだ茶。
なた餅 – 遠州から三河にかけての風習で、一升餅から数え年の数だけ餅を取り、きな粉をまぶして厄落としの餅とする。節分蕎麦 – 文化11年(1814年)刊『大坂繁花風土記』にある年中行事の条に「十二月三十日 晦日そばとて、皆々そば切く(喰)ろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す」「正月十四日 十四日年越とて、節分になぞらへ祝ふ。この日そば切を食ふ人多し」とある。本来は節分に食べる蕎麦を「年越蕎麦」と呼び、大みそか(旧暦)に食べる「晦日そば」と区別していた。明治の改暦により「年越し」が節分から新暦の大みそかに移ったため、しだいに年越し蕎麦は大みそかに食べられるようになっていった。しかし、節分に蕎麦を食べる習慣を残す地域もあり「節分蕎麦」と呼んで区別するようになった。
麦飯
大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に記された節分の行事食に「塩いわし 麦飯」とある。また、大坂町奉行の久須美祐雋が安政3年(1856年)正月22日に起筆した随筆『浪花の風』には「節分大晦日には必らず麦飯を焚て、赤いわしを添へて祝ひ食ふ」とある。さらに、上方落語の「厄払い」には「年越しの晩はどこのお家(うち)でも、みな麦ご飯にイワシを焼いて、それをおかずにして食べなはるなぁ」というくだりがあり、大阪・神戸間に電車が通じている時代設定になっている[80]。これらのことから江戸時代から近代まで、大阪の多くの家庭では麦飯に鰯が節分の食事であったことがわかる。
奈良県では麦飯を炊くことを「麦をよます」と言い、「ようまわす」(良い世の中になる)ように験を担いで食べる。
江戸時代の京都の商家の日記に、節分の昼食に麦飯と白みそ汁、いわしを食べ、夜には鶴の吸物で酒を飲んだことが記されている。
とろろ汁 – 長野県では麦飯にとろろ汁をかけて食べる。トリガチと言って早食いをする。寒明けに胃袋を試すため大食するのが目的であるとする。恵方巻 – 恵方を向いて願いごとをしながら、無言で丸かぶりすると縁起が良いとされる太巻き寿司。関西では「丸かぶり寿司」とも呼ぶ。
蒟蒻 – 「腸の砂おろし」と呼び、「体内にたまった砂を出す」として食べる。
ナマコ – 島根県の隠岐では「砂おろし」と称し、ナマコを酢の物にして食べる習慣がある。
水菜の辛子和え – 奈良県では麦飯や鰯のめ巻きとともに水菜の辛子和えを食べる。
カナガシラ(魚)の煮付け・とっぽいか(尺八いか)の煮付け・紅大根のなます – 長崎県長崎市では、「お金が貯まる」に通じる「カナガシラ」の煮付けと、ケンサキイカやヤリイカを巾着(財布)に見立て、米などを詰めて煮付けた「とっぽいか」の煮付け、赤鬼の腕に似ている紅大根のなますを食べる。
鯨料理
青森県八戸市鮫町の蕪嶋神社「節分厄除祭」では、直会にくじら汁を食べる習慣がある。大坂船場安土町の水落家の「行事帳」文政6年(1823年)に、節分の行事食として「汁 くじら、大こん」とあり、江戸時代に大坂船場の商家ではくじら汁を食べる習慣があったことがわかる。
島根県浜田市では、拍子木に切ったクジラの黒皮を炊き込んだ「くじら飯」を食べる。
山口県では「大きなものを食べると縁起が良い」として鯨の尾びれを水でさらした「尾羽毛(おばけ・おばいけ)」をはじめとする鯨料理を食べる風習がある。
長崎県では「金頭(かながしら)の煮付け」や「尺八イカの煮付け」とともに、鯨の小腸「百尋(ひゃくひろ)」の輪切りが節分の伝統料理として食べられていた。
粕汁 – 奈良県をはじめ関西の寺院では、節分会にあたり参詣者や関係者に振る舞うところがある。干しかぶらの味噌汁 – 大阪市から河内地域にかけて、干したかぶを白みそ仕立ての味噌汁にし、無病息災を願って食べる習慣があった。
厄除けぜんざい – 厄年の人がぜんざいを振る舞う「厄除けぜんざい」の風習が関西を中心に残っている。厄除け饅頭 – 大阪市を中心に、節分に社寺で厄除けをし、門前で販売される「厄除け饅頭」を親しい人に分け、厄落としをする習慣がある[101]。
節分福引せんべい
がらがら・福引煎餅 – 小麦粉と卵黄に砂糖で味付けた生地を焼いた煎餅の中におもちゃや縁起物の入った伝統的な食玩駄菓子。がらがらは、山梨県甲府市の大神宮節分祭の名物。また、福引煎餅は、三重県津市で食べられる厄除けの煎餅。切山椒 – 切山椒は、?粉に砂糖と山椒を炒った粉をまぜた生地を蒸して搗き、拍子木形に切って作った餅菓子で、山梨県甲府市の大神宮節分祭の名物。
小判菓子 – 福井県小浜市で「一生お金に困らないように」と、炒り豆とともに神棚に供えて食べる小判の形をした縁起物の焼き菓子。節分 - Wikipedia
恵方巻きとして、太巻きを節分の行事職としていただく風習の他にも、沢山の節分の行事食があります。
「恵方巻」という名称は、1989年にセブン-イレブン舟入店(広島市中区)担当の本部社員である野田靜眞が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴いて仕掛けたことにより、1998年頃から「イオンの恵方巻き」として、イオンが大々的な全国展開の販促、コーナー造りをしたことで一気に全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まった。それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。
恵方巻 - Wikipedia
このように、恵方巻は恵方巻きとして、必ずしも恵方巻きだけが、節分の行事食ではありませんので、なにがなんでも恵方巻きを食べる日が節分ではない、ということですね。
ちなみに、何故「豆」なのかというと、「魔滅」(まめ)に由来し、鬼の目「魔目」(まめ)を滅ぼす=「魔滅」(まめ)=「豆」ということから、豆を撒くようになったそう。
福豆、福を呼んで、魔を滅する=福わ内!鬼は外!
節分の豆巻きについて、最も古い記録は、室町時代15世紀初期に書かれた記録だとされます。古くから、厄払い、邪気を払うために豆を巻いた行事として、今年の節分には、はりきって豆をまきたいと思います。
今年の節分は2月何日?
節分=2月3日でしょ?
いえいえ、2021年の節分の日は「2月2日」でした!
これの朝日新聞社の動画からだけですと、その理由が分かりませんが、「節分=2月3日」と決まっているわけではないということはわかります。
節分とは、そもそも暦の二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬の前日」を指し、2月の節分は立春の前日が、いわゆる節分となります。
立春は二十四節気でいうところの春の始まり。
1年は、365.2422日。
太陽の周りを1周する長さ、起動が1年にあたりますが、それが365.2422日って、ぴったり365日ではないことから、1年を24分割した二十四節気も、少しずつズレが生じます。
4年に1度、暦の調整をするかのように、閏年があって1日2月の日が増えるのも、このためです。
うるう年で、1日24時間増やして調整はしますが、「365.2422」なので、それでも少し誤差が残りますよね。
なので、これが立春の日がずれる、節分の日もずれる理由となるわけです。
1984年(昭和59年)の節分は、2月4日でした。
それ以降、2020年まで、2月3日が節分でした。
で、昨年2021年の節分は、2月2日だったのです。
2月2日が節分の日となるのは、1897年(明治30年)以来だそうですので、1世紀以上前になります。
今年は、2月3日が節分となって、2025年からは2月2日が節分になる予測。
予測というのは、太陽と地球の軌道によって変化するので、未来の軌道は「予測」でしかないということ、ここ不思議な感覚でした。
暦は、天候と同じく予測、観測されるもの。
暦は、確定しているもの、1年は365日で毎年過ごしているものではなく、微妙に変化しているもの、不思議な感覚です。
昔、知人が「化石を見ながら酒が飲める」と言っていて、そんなことあるかっ!と思ってましたが、今、「暦を感じながら酒が飲める」、そう思えた、ような気がしました。
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