一時期の外出控えから、今では居酒屋へ行ってお酒を飲む機会も少しずつ増えてきました。
ひところは、自宅で晩酌することが当たり前のような日常いしたので、外でワイワイガヤガヤとした雰囲気で過ごすことが、すごく楽しく感じています。
当たり前のように、居酒屋で、おいしいお酒とおいしいツマミを頼んで同伴者との会話を楽しみながら時間を過ごしていますが、よくよく考えると、この「居酒屋」とは本来どういったものなのでしょうか?
居酒屋の始まり?その起源は江戸時代?
1603年(慶長8年)に徳川家康が江戸に幕府を開き、江戸時代がスタートします。
江戸時代のはじめの頃まで、階級にかかわらず「外食」という習慣は存在しなかったようです。
それが、1657年「明暦の大火」。江戸の街の密集した木造の建物に火が燃え広がり大火事となります。
現在の文京区、本郷丸山本妙寺から出火したと言われる火事で江戸の大半を焼け野原とした大火災です。
明暦の大火
明暦の大火・明和の大火・文化の大火を江戸三大大火と呼ぶが、明暦の大火における被害は延焼面積・死者ともに江戸時代最大であることから、江戸三大大火の筆頭としても挙げられる。
外堀以内のほぼ全域、天守を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、死者数については諸説あるが3万から10万と記録されている。この大火で焼失した江戸城天守は、その後、再建されることがなかった。
明暦の大火 - Wikipedia
この江戸史上最大の火事とされる明暦の大火以降、火事からの復興の過程で、食の需要も広がりを見せ、食事を提供する役割をもった商売が始まっていくそうです。
そんな中、参勤交代で江戸市中に滞在する武士などを含め、多くの人が集まる江戸において沢山の屋台や店舗型の外食店も増えていきます。
私達が知っている「居酒屋」という外食の形が始まったのもこの頃とされています。
当時、江戸には多くの造り酒屋がありました。
そして、それを卸して売る店「請酒屋(うけざかや)」もあって、そこに皆さんお酒を買いに来るわけですが、中には家まで持ち帰るまでもなく、店先や店内ですぐに飲みたいという人もいるわけで、そんな需要に応えて、請酒屋はすぐに飲めるように、お店で飲めるようなサービスを始めます。
お店に「居ながらにして」酒を飲むスタイル、まさに居酒屋ですが、その当時は「居酒(いざけ)」と呼んでいたそうです。
今でも、酒屋の店先で立ち飲み形式で飲める「角打ち」というスタイルのお店がありますが、まさにそんな感じです。
次第に、酒の肴として簡単な料理も提供するようになるという次第です。
その他、先の大火の復興工事で多くの人が江戸に集まる中、その工事の人足たちの食事の需要に対し「煮売茶屋(にうりちゃや)」と」呼ばれる、お料理や、今で言うところの定食屋的なサービスも始まり、次第に食事以外に酒も提供するようになると、そちらも現在の「居酒屋」的なサービスとなり、ますます居酒屋が軒を並べるようになります。
江戸時代の人はどんなお酒をどんなツマミで飲んだのか?
そんな背景から起こる「居酒屋」で人々は、どんな酒をどんな料理と一緒に楽しんでいたのでしょうか?
江戸の頃、全国各地に銘酒といわれるお酒が造られていて、江戸のまちなかにも多数の造り酒屋がありましたが、それら各地の銘酒を、江戸の人たちもありがたがり楽しんでいたようです。
江戸時代に入ると参勤交代で、各地の大名や家臣、商人や職人など様々な人達の往来が盛んになります。
「下り物(くだりもの)」-上方(京都や大坂など)で生産され地方へ送られる品物のこと。
酒もそのひとつで「下り酒」として珍重されます。
下り酒 【くだりざけ】
上方で生産され、大消費地江戸へ輸送され消費された酒のこと。江戸時代前期は伊丹酒、池田酒がトップブランドであったが、江戸時代後期につれて後発の灘酒が市場を席捲した。これは、やや内陸に位置する伊丹や池田に比較し、海沿いに位置する灘が江戸への輸送上有利であったという理由が大きい。
下り酒【くだりざけ】|地酒用語集|地酒蔵元会全国の地酒(日本酒)蔵元を応援する「地酒蔵元会」です。蔵元の歴史や地酒(日本酒)へのこだわりを伝える取材紀行、地酒(日本酒)に合う料理や雑学など、魅力をたっぷりとご紹介。全国の蔵元、地酒(日本酒)の銘柄検索も可能です。
伊丹・灘・池田と江戸の人にもてはやされるブランド酒となる。
江戸まで陸路で馬に運ばれたり、海路で船、波に揺られた、それらの酒は、道中で揉まれ熟成し、江戸に到着した頃には、さらに甘美な酒となったことでしょう!
ふじみ‐ざけ【富士見酒】
摂津国(大阪府・兵庫県)の池田・伊丹で醸造した酒を船に積み、富士山の見える所まで漕ぎ出し、再びもどって売り出したもの。
また、摂津国からいったん江戸へ出し、再びもどった酒。遠州灘の荒波にもまれて味がよく、上等の酒という。
富士見。
※随筆・見た京物語(1781)「酒は富士見酒とて、一たび江戸へ乗出したるを賞翫す」
出典 精選版 日本国語大辞典富士見酒(ふじみざけ)とは? 意味や使い方 - コトバンク精選版 日本国語大辞典 - 富士見酒の用語解説 - 〘 名詞 〙 摂津国(大阪府・兵庫県)の池田・伊丹で醸造した酒を船に積み、富士山の見える所まで漕ぎ出し、再びもどって売り出したもの。また、摂津国からいったん江戸へ出し、再びもどった酒。遠州灘の荒波にもまれて味がよく、上等の酒とい...
上方で造られた酒は、江戸への道中左手に富士を見て、さらに折り返して上方へ運んだ酒もあって、今度は右手に富士を見ることになります。
江戸から上方へ戻ってきた酒も「富士見酒」として、戻り酒として、より熟成が進んだ酒を上方でも珍重したそうです。
江戸時代の「居酒屋」では、芋の煮物「煮ころばし」、まぐろを葱と煮て食べる葱鮪(ねぎま)、湯豆腐、味噌田楽などが代表的なツマミであったそうです。
余談ですが、おでんのルーツは「田楽」といわれていたり。
現在では、東京都の郷土料理に「おでん」が挙げられています。
拍子木形に切った豆腐を竹串で刺して焼いた豆腐田楽がおでんのルーツとされる。「おでん」とは、宮中を支える女房が使用した女房言葉で、「田楽」に「お」をつけて丁寧にし、「楽」を省略して「おでん」になったと伝えられる。
田楽とは元来、豊穣を祈願して笛や太鼓のリズムに合わせて舞った楽舞を指し、拍子木形に切った豆腐の形が、田楽舞に似ていたことからこの名がついた。
田楽舞は現在も浜松市天竜区で「西浦田楽“高足もどき”」として舞の文化が残っている。
江戸時代には豆腐やこんにゃくを串にさして、味噌を塗って焼く田楽が庶民の惣菜として普及していた。
近代以降には煮込みのおでんが広まっていく。関西では本来のおでんと区別するために、煮込みおでんを関東煮(関東炊き)といって区別している。
うちの郷土料理-農林水産省
江戸時代、お酒は燗酒で温めて飲んでいたそうです。
日本酒の製法も、目覚ましく進歩した現代では、上撰や大吟醸も口にすることが出来、冷や酒を、手軽に楽しめるようになりました。
ツマミも、和食に限らず多種多様で、その素材も世界各地の珍しいものまで、日本酒との相性を楽しみながら、江戸時代では考えられなかったほどの、美味しい組み合わせが生まれていることと思います。
これから先の世の中でも、更に進化した「居酒屋」や「酒」事情が繰り広げ等っれていることを思いながら今夜も居酒屋で。
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