宮崎といえば、チキン南蛮、宮崎牛、鶏の炭火焼、マンゴーや日向夏。
宮崎の美味いのも、ご当地グルメで有名所はこんな感じでしょうか。
宮崎県は、九州の中でも米作が盛んで、早期水稲の発祥の地とも言われています。
宮崎では昔から早期水稲の栽培が盛んで3月には田植えをして、台風シーズン前の7月には稲刈りを行い風水害を出来るだけ回避しながら、夏の早い時期の収穫と秋の収穫、1年に2回作る二期作が行われます。
このように米の生産が盛んな宮崎県では、昔から餅や餅菓子、もち米を使った菓子や料理が人々の生活に根付いているそうです。
中でも宮崎市佐土原町に古くから伝わる餅菓子「くじらようかん」が有名?です。
くじらようかんの由来は、今から100年以上昔の江戸時代のことです。
現在の佐土原町である佐土原藩の4代藩主 島津忠高が26歳の若さで亡くなりました。それがきっかけでその子供 万吉丸は2歳にも満たない年齢でしたが、周辺では世継ぎを巡って争いが生じ始まりました。
そんな混乱の中、万吉丸の母 松寿院が
「息子と藩が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」と願いを込めて、くじらに似せた羊羹を作らせたのが佐土原名物くじらようかんの始まりです。
佐土原名物 鯨ようかんの由来
くじらようかんの歴史とは?
佐土原町は、宮崎市の北部に位置し、2005年12月までは「宮崎郡佐土原町」でしたが翌2006年から宮崎市に編入されました。
江戸時代、佐土原藩三万石の城下町であり歴史のある街でもあります。
日向(ひゅうが)国宮崎郡佐土原(宮崎県宮崎市佐土原町)に藩庁を置く、薩摩(さつま)藩の支藩。外様(とざま)。
この地を領していた島津豊久(とよひさ)が関ヶ原の戦いで没したのち、大隅垂水(おおすみたるみ)の領主島津征久(以久)(ゆきひさ)が、那珂(なか)・児湯(こゆ)両郡に3万石を給されたのに始まる。
5代惟久(ただひさ)代の1699年(元禄12)には城主列に加えられた。
藩政は、初期以来、譜代(ふだい)門閥層の権力争いで動揺を極めたが、後期になっても家臣団の窮乏化を背景に、天明(てんめい)期(1781~89)の四口(しくち)騒動、文政(ぶんせい)期(1818~30)の鴫之口(しぎのくち)騒動などの党争が繰り広げられ、しばしば宗藩の介入を招いた。
ようやく9代忠徹(ただゆき)代の1825年(文政8)に至って藩校学習館の創設、楮(こうぞ)買入れのための楮本銭(かじもとぜに)(藩札)の発行などによって士風の作興、藩財政立て直しが図られ、また10代忠寛(ただひろ)も嘉永(かえい)~安政(あんせい)期(1848~60)に郷学所の設置、検地、諸産物の奨励など、諸政の改革を行って内憂外患の克服に力を入れた。
戊辰(ぼしん)戦争に際しては、宗藩とともに討幕軍として伊勢(いせ)・会津に転戦し、明治を迎えた。1871年(明治4)廃藩、佐土原県、美々津(みみつ)県、宮崎県、鹿児島県を経て、83年再置の宮崎県に編入された。
佐土原藩(さどわらはん)とは? 意味や使い方 - コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ) - 佐土原藩の用語解説 - 日向(ひゅうが)国宮崎郡佐土原(宮崎県宮崎市佐土原町)に藩庁を置く、薩摩(さつま)藩の支藩。外様(とざま)。この地を領していた島津豊久(とよひさ)が関ヶ原の戦いで没したのち、大隅垂水(おおすみたるみ)の領主島津征久(以久)(ゆきひさ)が...
日向国 佐土原藩
佐土原町の歴史
江戸時代前期、佐土原藩4代藩主「島津忠高(しまづただたか)が、延宝4年(1676年)8月11日、26歳で死去したことから、当時2歳にもならない子の「万吉丸(後の6代藩主:島津惟久)」の世継ぎを巡る争いが起きます。
忠高の側室であり、後の惟久の母である「松寿院」が
「息子(万吉丸)と藩(佐土原藩)が、大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」
との思いを込めて作らせたのが「くじらようかん」だと伝えられています。
子の無事、健やかな成長を願う母の思いがたっぷりとつまった「くじらようかん」です。
米粉を蒸した餅(求肥)を中心に、両側からたっぷりの餡こで挟んで作られる独特な「くじらようかん」。
鯨に似せて作ったとされる佐土原町銘菓「くじらようかん」には、400年の歴史、このような誕生秘話があります。
くじらようかんの由来とは?
「大海を泳ぐ鯨のように力強くたくましく育って欲しい」
という思いを込めた「くじらようかん」は、その姿を鯨に見立てて作られたとされています。
中心の餅(求肥)の白い部分は、むっちりとした食感で甘く、その両端を挟むような黒い餡の部分は、「蒸し羊羹」と呼ばれる、こしあんに薄力粉で崩れにくくなった羊羹に近いものが使われています。
中心の白い部分が鯨の腹や口、まわりの餡この部分が鯨の胴体のようにも見え、ぷっくりとしてシンプルなこの姿が古くから伝えられる一つの所以のようにも思えます。
餡を餅で包んだ饅頭のようではなく、その逆、餅を餡で挟んだユニークな姿。
外側の蒸し羊羹状の餡は塩気があって甘過ぎず、手で持ってもベタつきすぎず食べやすく、白い求肥の餅部分は柔らかく粘りがあって滑らかです。
鯨羊羹 (宮崎市)
鯨羊羹(鯨ようかん、くじら羊羹、くじらようかん)は、宮崎県宮崎市(旧宮崎郡佐土原町)の銘菓。広島県尾道市の鯨羊羹とは別種。
概要
米の粉を蒸したものをあんこで挟んだ和菓子である。日持ちがしないため、「菓子の刺身」[2]とも言われる。佐土原藩主の島津惟久の幼少期に、母の松寿院が「鯨のように大きく、たくましく育つように」と願って作らせたのがはじまりとされる[1][3]。2021年には、スポーツ選手向けの同商品が発売された。
鯨羊羹 (宮崎市) - Wikipedia
この「くじらようかん」は「幻のお菓子」とも呼ばれています。
なぜ?「幻」なのかというと、日保ちがせず一日しか持たないことから、そう呼ばれるようになったそうです。
一日過ぎると固くなって、再加熱しようがなく、本来のぷるぷるとして滑らかな「くじらようかん」ではなくなってしまうそうです。
宮崎旅行のお土産にと思っても、賞味期限が「本日中」となると買って帰るにも考えてしまいます。
宮崎で有名なお店はここ!
佐土原町銘菓「鯨ようかん」は、宮崎市内どこででも買えるというわけでも無いようですが、有名なお店は!?
「阪本商店」「長峰菓子舗」そして、「安田屋」の三店舗。
それぞれウェブサイトもありました。
最近では、鯨ようかんもお取り寄せが可能になり、以前よりは手に入りやすくなっています。
公益財団法人 宮崎県学校給食会のウェブサイトに「鯨ようかん」のレシピが載っていました。手作り「鯨ようかん」にもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
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