大晦日、除夜の鐘の音を遠くに聞きつつ、新年、お正月を迎え、最初の食事には、雑煮やおせち。
日本のお正月のイメージです。
おせち料理といえば、年末に差し掛かる前、お盆を過ぎた、まだまだ夏真っ盛りの時期から、様々におせち料理にまつわる広告などを目にし、個人的には、おせち料理から連想するのは、おせち料理=キンキラな料理といった感じの「華やかさ」ばかりが先行するようになっています。
おせち料理は、お正月を彩る、華やかなものではあるのですが、そればかりではなく、そもそも、何故お正月にはおせち料理なのかと言ったところから、私の住む日本の食生活を再確認していきたいと思います。
おせち料理の由来、ご存知ですか?
ご存知かと問われれば、私は全く知らなかった情報ですが、調べてみると知ってよかったなぁというのが一番の感想でした。
おせち料理は、感じで書くと「御節料理」。
節日(せちにち・せちじつ)-季節の変わり目など、祝いを行なう日。元旦・白馬(あおうま)・踏歌・端午・相撲・重陽・豊明(とよのあかり)などの行事のある日、節会(せちえ)-宮廷で節日(祝の日)、節句(せっく)-伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日、これらと同様に「節(せつ・ふし)」という字が使われるように、節日の料理、その節日で最も重要な正月に作られる料理として、御節とされています。
日本神話、神道の神である年神、大年神(としがみ、おおとしのかみ、歳神とも)に捧げる、節目の日、新年正月にお供えする供物、その供物としての料理のことを「おせち」という、そんな由来があります。
節目の日のための料理(神饌)=御節供(おせちく)が語源とされています。
節日、神様にお供えしたもの料理(神饌)を、家族で食する風習から、その日の食べた料理のことを、おせちと呼ぶようになり、今では正月のお料理を「おせち」と呼ぶだけになったということです。
もとは、1月7日「七草の節句」、その際の節句料理である「七草粥」。
3月3日「桃の節句」の白酒や菱餅、5月5日の端午、菖蒲の節句の菖蒲酒、柏餅やちまき、7月7日-七夕、笹の節句の素麺など、節句ごとにお供えした料理も「おせち」ということになります。
節日、節会で供された料理を食べる、その料理=御節料理
おせち料理に込められた意味
神様にお供えした料理を食べる行事として始まった「おせち」。
その行事の持つ意味とは、おめでたい料理を家族とともに囲むことで、縁起物として、その料理一つひとつに、意味が込められています。
再生を意味する新年の料理として込められた願いとは?
まず、古くからお正月に食べるおせち料理の品目を見ていきますと、まず「祝い肴三種」、三つ肴から
- 関東:黒豆・数の子・ごまめ
- 関西:黒豆・数の子・たたき牛蒡
関東と関西では、「ごまめ」と「たたき牛蒡」といった違いはありますが、
黒豆は邪気を払い黒く日焼けするほど勤勉に、健康に働けるという意味が込められています。数の子には、孫繁栄を願う縁起物とされ、田作りとも言われる、ごまめは「五万米」という当て字もあるように縁起物とされ豊作につながる縁起物と言われています。
ごぼうは土の中で根を張る野菜であることから、家族の土台がしっかりと根付くようにといった意味が込められています。
ほかにも、小肌粟漬、紅白なます、昆布巻き、くわい、八つ頭、紅白かまぼこ、海老、きんとん等の代表的な料理もそれぞれに意味や願いが込められています。
その意味を、大きく分けると「子孫繁栄」「豊作」「健康」「魔除け・厄除け」「財産」や願いの成就といった内容です。それぞれに見ていきます。
小肌粟漬け
コノシロの若魚である小肌(コハダ)を酢漬けにし、クチナシで染めた粟と和えたこの料理には、五穀豊穣の願いを込めて。
紅白なます
紅白のめでたい配色が、水引にも似て演技の良い食べ物とされます。さらに大根も人参も、どちらも土に根を張る野菜ですので、家族の土台をしっかりと支えるといった意味が込められています。
昆布巻き
昆布は、「養老昆布」、「よろこぶ」と語呂合わせから縁起物として正月の鏡飾りにも使われますが、また昆布(こぶ)を「子生(こぶ)」の字を当てると、子を生む、子宝を願う意味も含まれています。
くわい
中華料理でも良く見かけるシャクシャクした食感の白クワイとは違って、日本のクワイは青クワイ、ホクホクとした栗のような食感です。
芽が青っぽいことから、中国の白クワイと区別できます。私は、おせちでしか日頃、この日本の青クワイを食べる機会が殆どないのですが、「畑の栗」とも呼ばれるホクホクとした食感と、大きく芽が出ている様から「芽が出る」「めでたい」とされる縁起の良い野菜
八つ頭(里芋)
八つ頭は、里芋の品種で、まるで頭が8つくっついて固まって見えることから八つ頭と名付けられ、末広がりの「八」と、親・子・孫と増えていくことを連想させ子孫繁栄の願いが込められています。
里芋自体も、種芋に小芋がたくさんつく様から子宝に恵まれる願いが込められているとされます。
紅白かまぼこ
かまぼこの半月型は日の出を表すとして新年、初日の出のように新しい年を迎えるにふさわしく、また紅白の色合いも縁起の良いものとされています。
紅白の紅は、魔除けや、めでたいことを祝う「慶び」、白は神聖さを表しているとされる縁起の良い配色となっています。
海老
腰が曲がった海老の様や、海老の髭は老人、長生きの象徴として長寿を願う食べ物とされ、海老の赤いいろが魔除けの意味を持ち縁起が良いとされます。
きんとん(栗きんとん)
きんとんは、感じで書くと「金団」。金や小判、お金や財宝を連想させ、豊かさや、金運や商売繁盛を呼び寄せるというとされる縁起物。
伊達巻
長崎では「カステラかまぼこ」とも呼ばれていて、江戸の時代に「見栄えが良く洒落ている」という意味から「伊達者」にちなんで「伊達巻」と呼ばれるようになったという説や、伊達政宗が好物だったことから伊達巻、和服に使われる伊達巻き(反物)に似ていることからなど、いろいろな説があります。
巻物の形から、学問が成就するようにとか、反物に似ていることから衣装に困らないようにといった願いや、見た目が華やかで美しいことから縁起が良い食べ物として御節に欠かせない料理ともなっています。
その他にも、九州・福岡では「がめ煮」とも呼ばれる筑前煮や、煮しめといった根菜やこんにゃく、レンコンや鶏肉と言った具材を一緒に煮ることから、家族が一緒に仲良くといった意味が込められていたり、「お多福豆」は、その見た目がふっくらとした、お多福さんに似て、沢山の服を呼ぶ食べ物として使われています。
おせち料理が三段重である由縁
おせち料理に含まれる料理に込められた意味のほか、重箱、重ねられたお重にも、意味があると言われます。
重箱やお重に詰められるおせち料理ですが、「めでたさを重ねる」という意味があります。
組重
来は五段重であったともいわれ、この五段重を正式としている説もある。ただ、最近では四段重が普通となっており、この四段重を正式なものとしている説もある。
四段重は春夏秋冬を表すといわれ、また、完全を表す「三」にさらに一つ重ねる意であるともいわれる。
一方、五段重における五の重は土用を表すといわれる。ただ、五の重の内容については諸説あり、五段重を用いる場合、来年こそは重箱を一杯にできますようにという意味で五の重には実際には詰めることはしないとするもの、年神様から授かる福を詰める場所として実際には何も詰めないとするもの、なますや酢の物を詰める重であるとするもの、「控えの重」として多めに御節料理を詰めたりあるいは家族の好物を詰めるために用いられる重であるとするものなどがある。
なお、組重の四段目については四(し)が「死」を連想させ、不吉で縁起が悪いことから「与の重(よのじゅう)」と呼ばれている(四の字も参照)。
三段重や二段重といった略式のものも多くなっている。
重詰
三段重の一般的な構成については次の通り。
一の重には祝い肴と口取り。
二の重には焼き物と酢の物。
三の重には煮物。四段重の一般的な構成については次の通り。
一の重には祝い肴のうち三つ肴と口取り。
二の重には焼き物。
三の重には煮物、もしくは酢の物。
与の重には酢の物、もしくは煮しめ。五段重の一般的な構成については次の通り。
一の重には祝い肴。
二の重には口取り。
三の重には鉢肴、あるいは海川の幸、または焼き物。
与の重には煮しめ(山の幸の煮物)。
五の重(五段重とする場合の五の重については先述のように説が分かれる)なお、黒豆・田作り・数の子の祝い肴については一の重に入れられるほか別の入れ物に盛り付けられることもある。
御節料理 - Wikipedia
おせち料理はいつ食べる?
当たり前のように、正月三が日に食べるものと思っていましたが、そうでもないそうで、本来は、大晦日から元旦にかけて、年越しに食べるものだったそうです。
今でも、北海道や東北地方の一部では、年迎えの義として大晦日に食べるそう。
これらの地域では、大晦日におせち料理を食べて、その後に年越しそばを食べるといった流れになるのですね。
この風習は、古く「歳とり膳」として、家族揃って縁起の良い華やかな料理を食べ、正月を迎える、その儀式、風習が残っている由縁だとも言われています。
実際に、歳とり膳の風習は、宮崎県の「うちの郷土料理」として農林水産省のウェブサイトにも情報が掲載されています。
元日より大晦日が豪華!
「年取り膳」で祝う風習もありますみなさんは「年取り膳(としとりぜん)」という言葉を知っていますか? 大晦日に年神様を迎えるためのごちそうのことで、一年が無事に過ぎたことを感謝し、新年を迎えるお祝いの風習です。このお膳には、必ず「年取り魚(としとりざかな)」が用意されます。年取り魚は、主に鮭や、出世魚と言われるブリを使いますが、地方によっては鮎、尾頭付きのサンマ、身欠きニシンなど様ざまです。このお膳は魚が貴重な食材だった時代の、いちばんのごちそうでした。
今でも「大晦日の方が元日より豪華」と言われるのは新潟県。お肉やお刺身を並べて現代風のごちそうにする若い家族も「年越しをお祝いする」という気持ちは連綿と受け継がれているようです。なお、こういった地域のお正月の料理は、おせちよりお雑煮が主役になるそうです。
ご指定のページは見つかりませんでした。:農林水産省
柳田国男全集の第13巻(柳田国男/著 筑摩書房 1998)の中で、「日本の祭り」、「祭りから祭礼へ」のところに、
我々日本人の昔の一日が、今日の午後六時頃、いはゆる夕日のくだちから始まつていたことはもう多くの学者が説いている。
柳田国男全集 第13巻(柳田国男/著 筑摩書房 1998)
それを裏付けるように
一日の始まり>暦Wiki
1日は必ずしも正子 (子の正刻=午前0時:真夜中) に始まるとは限りません。
夕方に見える三日月状の細い月を新月としていると、必然的に日の入りが1日の始まり・1か月の始まりになります。
夕方から始まるので、たとえばクリスマス・イブとクリスマスの朝は同じ日になります。
現在でもイスラム暦やユダヤ暦では日の入りを基準としています。暦Wiki/要素/1日とは?/1日の始まり - 国立天文台暦計算室
柳田國男のほか、和歌山県が生んだ博物学の巨星としても知られる南方熊楠(みなみかた くまぐす/1867年5月18日 – 1941年12月29日)も、日没を一日の初めとする考え方について、早くから指摘していたとされています。
「宮崎の正月料理」として、記載している以下のサイトにもこのように記載されています。
宮崎の正月料理/前田博仁( 宮崎県民俗学会副会長 )> miten
本来、1日は夕方から始まるものであり、正月は前日つまり大晦日の夕方から始まった。大晦日の夜は歳徳神(正月さま)を祀り1年で1番のご馳走を食べる夜であった。この歳徳神と共食したものを翌朝元旦に食べたのが雑煮であったという。確かに現在も県北部の北浦や北川、延岡、県央の西都市辺りでは大晦日にご馳走があり、元旦は前夜の煮しめの残りなど食べるという普段の朝食でお節料理などは食べない家が多い。これは古い正月の迎え方を今も残している風習と言える。
元日の朝、家族全員がそろって新年を迎える祝いを行う。これを「朝祝い」とか「内祝い」「トシノアサンマツイ(年の朝の祭り)」「朝食」などといい、通常朝食をとる台所や居間ではなく床の間、オモテの間で行う。新年のあいさつをして膳につき、まず、邪鬼を祓い延命長寿を願って屠蘇を飲み、歯固めの吊るし柿か餅を食べる。歯固めとは歯を丈夫にして長寿を願う意味がある。この後雑煮や煮しめ(年とり膳の残り)等正月料理を食べ酒を酌み交わして正月を祝う。
この、おせちを食べるタイミングは地方で違っているとういうことなのです。
北海道と東北地方の一部地域では、大晦日の夕食=おせち料理となっているのですが、その他は、お正月に食べる、正月元旦が食べ始めとしているのだそうです。HTTPSリダイレクター
クリスマスとクリスマス・イブの関係にも似て、クリスマスの前日(イブ)にお祝いが始まって、クリスマス、イエス・キリストの誕生を祝う日を迎える、この流れにも通じる、大晦日の「おせち」です。
クリスマス・イブの「イブ」はEvening、夕方とか夜とかって意味ですよね!?
12月25日、クリスマスの始まりは12月24日の夕方。
正月1月1日のはじまりは、大晦日12月31日の夕方。
なんとなーく、深~い古の共通点なのかなぁと、おせち料理を介して思うところです。
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