明石焼き・ちょぼ焼き・ラジオ焼き・・・たこ焼きの進化の歴史

明石焼き・ちょぼ焼き・ラジオ焼き・・・たこ焼きの進化の歴史 お酒のつまみになる話
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お祭りや縁日の屋台グルメ人気ランキング、常に上位の定番屋台グルメ「たこ焼き」。
たこ焼きといえば「大阪発祥」のイメージですが、タコ焼きの歴史について調べてみました。

おなじみの農林水産省「うちの郷土料理」でも大阪府の郷土料理として「たこ焼き」が紹介されています。

たこ焼き 大阪府 | うちの郷土料理:農林水産省

歴史・由来・関連行事

大阪の味といえばまず思い浮かぶのがたこ焼きであろう。鉄板の丸いくぼみに、だしや卵で溶いた小麦粉を流し入れ、ぶつ切りにしたたこを具にして丸く焼き上げたもの。ソースやマヨネーズをかけて食す。大阪府民のソウルフードである。
明治末期から大正時代にかけて駄菓子屋や縁日の屋台などで提供され、子どもたちに人気のおやつだった「チョボ焼き」からの派生ともいわれる。定番の具はコンニャクや干し海老、たくあんなどで、味付けは生地に醤油を入れて丸く焼いていたという。大正末期に日本でラジオ放送が開始されると、文明の最先端であったラジオから名をとった屋台食「ラジオ焼き」が登場。昭和初期、大阪市内の屋台でラジオ焼きの具にたこを用いた「たこ焼き」が販売され始めた。当初は何もつけずに食べていたが、戦後、濃厚ソースが誕生すると、たこ焼きにソースや青のり、削り節をかけ、フネに乗せてつまようじをつけた現在のスタイルが確立したという。やがて大阪名物として全国に知れ渡り、現在では国民から広く愛される屋台食の大定番となった。

たこ焼き 大阪府 | うちの郷土料理:農林水産省

「大正末期に日本でラジオ放送が開始されると、文明の最先端であったラジオから名をとった屋台食「ラジオ焼き」が登場。」

「昭和初期、大阪市内の屋台でラジオ焼きの具にたこを用いた「たこ焼き」が販売され始めた。」

その発祥について、大正時代末期、昭和初期と記載があります。

 

Wikipediaにも、たこ焼きの歴史について書かれています。

歴史>たこ焼き

たこ焼きの創始者は、大阪府大阪市西成区「会津屋」の初代・遠藤留吉とされている。

1933年(昭和8年)、遠藤はラジオ焼きを改良し、従来のこんにゃくの代わりに醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。

1935年(昭和10年)、ある客の「明石ではタコが入っている」と言う一言をきっかけに、タコと鶏卵を入れる明石焼に影響を受け、牛肉ではなくタコ・鶏卵を入れるようになり、たこ焼きと名付けた。

遠藤の故郷会津の郷土料理であるこづゆの味付けを模したダシで、小麦粉を溶いて仕上げていたという。会津屋のたこ焼きは、生地に味がついているため、何もかけずに食べるが、戦前は会津屋以外のたこ焼き屋でも出汁や醤油風味で何もかけずに食べるたこ焼きが大半だった。

第二次世界大戦前の大阪では、2個で1銭程度の価格で売られていた[6]。

戦後、1948年にウスターソースを改良したとんかつソースが発明されたことにより、お好み焼きやたこ焼きにも用いられるようになったが、大阪では前述した会津屋のように、現在でも古くから営まれているたこ焼き屋で、出汁や醤油風味のソースをかけないたこ焼きが売られている例がある。

ソースの普及後、たこ焼きの販売店が増え、また週刊誌が大阪らしいものとして紹介したことで普及が加速し、1955年には大阪市内でたこ焼き店が5000軒はあるという説が出るほど一般化した。その頃は10円で4個から6個という価格であった。

当時はタコをかなり細かく刻んで入れていたため、「たこ燒きの たこらしいのが 齒にあたり」(梅柿)という川柳も残されている。

1960年代中頃には、関東地方でも屋台での販売が見られるようになる。
東京の銀座では生地にエビのすり身を入れたたこ焼きの屋台が、独特の風味で人気を博した。

たこ焼き - Wikipedia

大正時代の「ラジオ焼き」を昭和初期に改良したものが大阪ではじめり、その当時はラジオ焼きの「コンニャク」が「牛肉」に改良され「肉焼き」として販売。

さらに、タコと鶏卵を入れた「明石焼」の影響から、牛肉ではなく「タコと鶏卵」が入れられるようになり「たこ焼き」となった。

その当時は、出汁やしょうゆ風味だった「たこ焼き」ですが、第二次世界大戦後、ソースがかけられた、たこ焼きとなっていったそうです。

タコが刻んで入れられていたり、今のたこ焼きになるまでは、もう少し進化の過程があるようですが、たこ焼きがたこ焼きとなった歴史は、「ラジオ焼き→明石焼き→たこ焼き」こんなところでしょうか。

その他にもラジオ焼きの原型である「ちょぼ焼き」を加えて、「ちょぼ焼き→ラジオ焼き→明石焼き→たこ焼き」とみる向きもあります。

ちょぼ焼き

ちょぼ焼き(ちょぼやき)は、ラジオ焼き、たこ焼きの原型であり[1]、地域によっては一銭焼き(一銭洋食・一銭定食等とも言う)を一括りにした呼称として用いられている。そのルーツから、現在におけるもんじゃ焼きやお好み焼き、たこ焼き等と類似する。

水で溶いた小麦粉を半円に窪んだ物が並んだ銅板[2]に流し、そこにコンニャク、紅しょうが、えんどう豆の他に醤油を入れたりねぎや鰹節をまぶしたりしたものを、上下2段になった箱型のカンテキ(七輪)で焼いたもの。

大正から昭和初期のおやつ的存在で、特に女児に人気がありやきやきともいわれた。子供たちが集まっては各家庭でつくっていた。型のくぼんだ所だけではなく、一面(べた)にうどん粉をひいて作ったものをべた焼きという言い方もある。

ちょぼとは、サイコロの目に似ている印や、点などの小さく丸いものをチョボやポチと言うことからきたとされる。

ちょぼ焼き - Wikipedia

たこ焼きの祖、ルーツには「ちょぼ焼」「ラジオ焼」「明石焼」、こららが時代とともにミックスされたような背景があるようですね。

たこ焼きもさらなる進化で串タイプも

たこ焼き串

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